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2005年8月 8日 (月)

病と向きあう人にかけられる言葉とは。

Peter Jenningsという人が亡くなった。3大ネットワークのひとつ、ABC系列で6時からの全国ニュースの顔だったアンカーマン。今年の4月、肺癌であることを番組中に告白、翌日から闘病生活に入ってちょうど4ヶ月目の訃報である。

67歳と48歳といった違いはあるが、6時の全国ニュース、告白会見、国民注視の闘病生活、そして4ヶ月の余命。

逸見政孝氏を想い起こす。

放送という業界の一番目に触れるところで活躍する人が突然職場を離れる以上、ああいった形は避けられなかったのかもしれない。でも、なにかこう、いわゆる『善意の』『励ましの』お便りといったものが無関係の、いってみれば無責任な人々から届いてしまう立場の闘病生活というのはどんなものなのだろう。

関係者、家族、そんな人たちだって、結局は他人だ。
本人の痛みも不快感も、絶対にわからない。

全快を目指すだけが、闘病じゃない。
その病気との付き合いが終わるまでの生活のすべてが闘病になることもある。

それがたとえ、全快を目指していなくても。
それがたとえ、最期のときを待つだけだとしても。

こういった状況に置かれた人に、なんと言えばよいのだろう。

『よくなって』でも『らくになって』でもなく、
本人の意思を尊重し、それを支える言葉。

『頑張れ』でも『応援』でもなく、
本人の対峙の仕方を尊重し、見守る言葉。

本人には闘っているつもりなど無いのかもしれない。
腐れ縁なのかもしれないし、相棒なのかもしれない。

本人が病気とどう向き合っているのか、
どういう方向を見据えているのか。

そういうことを知らない人がかけられる言葉が、あるのだろうか。

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