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2005年6月12日 (日)

父の日。

自分の周りには同性愛の男性が結構いる。
昨今は夫婦別姓や同性婚など、いろいろ出てきてよい。

夫婦別姓を最初に考えたとき、文化の違いを考えずになんでもアメリカのマネをするのもどうか、と真っ先に思った。

たとえば電話に出るとき『あ、おみっす。』といえるのはナンバーディスプレイに友人が表示されたときが限度である。

『はい○○です(でございます)』と苗字で出るように教えられていた育ちのよい私が、おそらく人もそうであることを前提に想像すると、夫婦別姓になれば『はい太田と田中です』などと電話に出られることになる。

『爆笑問題』

がわたしの頭に否応なく浮かび、吹いてしまうこと請け合いである。ミドルネームもない日本語で両方残したいときにどうするのか。考えることはいっぱいある。

じゃぁ、反対か?ときかれると、否、である。

積極的にも消極的にも、
『他人に迷惑をかけないものはすべてよし』
という立場なので、夫婦別姓あり。

電話帳は厚くなるだろうけど。

そうしたい人たちがそうしたいんであれば、
自分が何かをいう必要は無いのである。

あえてゆうなら、がんばれ。
おそらく、今までと違うというだけで色々な障害を乗り越えていくことになるだろうし、穿った見方をされたりするだろうから。

さて、同性婚だ。

冒頭で触れたように、自分の周りには同性愛の人たちが結構いるが、そんなことなくたって同性婚、ありである。

『両親とも男(あるいは女)なんて、子供が手本とする同性がいない』
母子家庭、父子家庭に対して失礼である。男女の両親がそろってたっていい見本とは限らないしな。

『うちの子供の友達の両親が同性だったら、子供がショックを受ける』
ショックを受けるような子供を育てたのは、よその両親じゃぁない。その子の両親、つまりあんただ。

『そんなことをいえるのは、普通の家庭に育ったからだ』
ありがとう。うちの両親は立派だ、ということだ。もしもうちの両親が両方とも男(あるいは女)、と考えるのは無意味だと思うし、そうするくらいなら『家族みんなで温泉に入れる』くらいの長所に想像力を馳せたほうがいいってもんだ。

自由の国を標榜しながらキリスト教の思想をもってこういった風潮を異端視する指導者がいただけないが、私の知り合いは女性で同性愛者で牧師だ。求めている人に与えないのは、クリスチャンとしてどうなのか。

結婚によって与えられる権利というのは、普通に結婚してしまうと邪魔になるくらいおおい。

別々の医療保険に加入することを余儀なくされたり。

緊急手術や延命措置終了の同意書にサインすることが認められなかったり。

最愛の人の最期の瞬間に立ち会うことができなかったり。

そうしたい人たちにそうさせてあげない力には
それはおかしいんじゃないの、といいたい。

父の日にそんなことを考えたのは、

Father's Day を Fathers' Day に

したいと思っている人たちのことが頭をよぎったからである。

お父さんが2人いる父の日ってのもありだ。

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コメント

はじめまして。
寛容さが持てるかどうか、ですよね。
それって人間としての成熟さ、でもあるような気がしています。

投稿: 夫婦別姓を待つ身 | 2005年6月13日 (月) 10時47分

はじめまして、『夫婦別姓を待つ身』さん。
そうですね。既存のものを変えることに抵抗があるのはわかりますが、善悪で量れない問題を『まず受け入れありき』というスタンスで見ることのできる寛容さというものがもっとあればいいですよね。他力本願に聞こえますが。

投稿: おみすけ | 2005年6月13日 (月) 13時33分

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